もう一回カミングアウト!?
そういえば最近、僕の心の葛藤の部分を日記に書いていない。
もろもろ忙しかった・・・・という言い訳ができないわけでもないが
どちらかって言うと
あえてGIDや治療に関して考えるのを拒否してたのかもしれないですぅーーー^^;
根が面倒くさがり&争いや議論も面倒なたちなので
なにかにつけ、話や考えがややこしくなると
特技とは呼べないが
“まいっか^^病” が出るのだ。
僕は今年の年明け、このような文面で
自分の母親に僕がFTM(性同一性障害)だということをカミングアウトした。
(この記事 )最後の方に記載
予想どおりのあたたかい反応のおかげで
今も平和な親子関係が続いている。
・・・ という一見、幸せな結末。
が、しかし、
それ以来この話題に関して特におかんと議論したことはなく
カミングアウト後、
今の嫁をさっそくおかんに紹介したときも
おもにおかんの恋話を二人で聞き入り・・・というか聞かされ(笑)
その数ヵ月後、2回目に二人でおかんに会いにいった時には
マレーシアだかのお土産を
僕の分だけでなく、彼女の分まで用意してくれていた^^
つまり
WELCOME TO わが家 &
息子?!みたいな娘?(逆?)をよろしくね・・・ということだろう。
何かを言葉であえて説明したりせずとも
そうやって、行動で愛情を表現してくれるおかんに
僕からもあえて
カミングアウトして驚いた? と聞くこともないし
性同一性障害についてどう思う?
なにか質問はある?
と、実は一番したいかもしれない質問を
あえて聞くことはしていない。
本当はしたほうがいいのかもしれないけど
僕ら親子はお互いシャイだから (笑)
しかし、どーしても 一つだけ気になることがある。
それは
もし僕が、身体的なホルモン治療、外科手術までするという決断を下し
それを正式に伝えたとしたら、
そのときの反応はどうだろうか・・・・
前回同様の反応でいてくれるだろうか・・・
今、たぶん、おかんが平穏でいられているのは
僕が体は治療していない、つまり体は健康でいるというのが
かなりウェイトを占めているのでは・・・ということだ。
だから、もし治療をするとなると
前回以上のプレッシャーを伴う
新たなる“カミングアウト”をしなければならないことは容易に想像でき・・・
そんなことを考え出すと 全てを放棄したくもなる・・・ ってわけだ。
カミングアウトも治療と同様、“第二ステップ” になるわけで
今思えば、最初のあの手紙を渡すときに、“もしかしたらホルモン治療くらいするかも・・・”くらい
書いておけば!!! と微妙に後悔はしているけど(笑)
後の祭り。
そのときは治療する気はあまりなかったし
あの時はあれで精一杯。
いまさら悔やんでも仕方がない。
もしもあの、第一段階でのカミングアウトで
猛反対!+大バッシング!!+勘当宣言!!
でもしてくるような親だったら
逆に迷わずに、とっくにホルモン治療をして、
己の身をもって
“俺は男だ!誰に何を言われてもかわらないよ!!”
と言っていたかもしれない。
僕が治療に踏み切れないでいる一つの原因は
あきらかにこの優柔不断・・・というよりは
オープンすぎるマインド のせいであり
それを形成しているのは明らかにおかんの広々マインド(笑)
いかんせん ありのままの僕を まるごと受け止めてくれてしまっているだけに
そして、何をしろ!とも、どうしろ!とも
何をするな!! とも言わないだけに
余計に切り出しにくいし
余計に余計な心配をかけたくないし
余計に悲しませる可能性のあることは
極力避けてあげたい。
単純にそう思うのだ。
腹を痛めて生んだんだからあーしなさい、これは駄目!! と
恩着せがましく自分の理想を子供に押し付ける親だったら
僕は間違いなく18才で治療して
親とは無縁になっていたと思う。
しかし、
一人っ子だから子孫は1人くらい残してね!!と本当は思っているかもしれないのに
そういうことを一言でも遠まわしでさえ言うわけでもなく
いつか男の人好きになるわよ!と
ありがちな無意識に傷つけるようなことさえもいうことなく
“好きなように人生をおもいきり楽しみなさい^^”
としかいわないおかんに、いったい何を言えるというのだい。
不満なんかあるわけない。
しいて言うなら、不満がないのが不満なくらいだ(笑)
おかんの喜ぶことをしたいと 自然に思わないでいられるわけがない。
理解があるというか、寛容すぎるというか
僕を信じてるが故にできる行為だとしても
いい意味で放任で無関心?というか ^^
そんな親もある意味困ったもんだ w
それだけ自分の恋に精一杯なのはわかるが ww
お腹痛めて僕を生んでくれたんだから
もう少し 僕にわがままでもいって
親の身勝手な理想を押し付けてくれてもいいのに。
そのほうがある意味楽かもしれないし。
そんな風にふと思ったりもする。
でも、これも
そうじゃない今のおかんに対してだから 思うことだろうし。
昔小学生の頃、勉強しなさい!!って僕に一切言わないおかんに対して
“勉強しろってよそのお母さんみたいに言ってよ!””
と真顔で迫ったのを思い出す。
それこそカウンセリングの先生に言われたとおり
“お母様も会社も、ありのままのけーじろーでOKで、何が困ってることあるの?”
と言われても仕方がない。
確かにそうである。
もし会社がスカートを強要し、マイノリティーを排除し
母も男性とのお見合いを強引に決めてきて
無理やり僕に女性らしい振る舞いを強要するような親なら
逆になんのためらいもなく
親との縁はひとまず自然消滅(w)しながら
己の道をつきすすむだろうが
いかんせん寛容すぎる ^^;;
(しょーもねーことでは喧嘩するけど。銀行の手数料払いすぎとか(笑))
これはGIDを理解しているかは別だけれどね。
ここであえて言うが、僕は理解という言葉は嫌いだ。
よく、“理解してあげよう” とか “理解されない” とか “理解してほしい”
という台詞は、差別やマイノリティーに対して、
また当事者自身からも発せられたりと、さまざまな問題において登場するが
そもそも “理解” なんて、当事者でない人間が
することは最初から不可能で
しようと試みることも されようと要求することも
そもそも不要なことなのかもしれない。
可能なのは、“当事者の気持ちを限りなく妄想し、疑似体験を試みる” くらいなもので
そして、何かを自然にしたいと思ったり
理解はできなくても、ともに時間をすごすことで
一緒にいることで、自然に受け入れられていたり
お互い違和感がなくなったり
何か自然とギブ&テイクができていたり・・・・
そんなくらいなものだろうか。
もちろん関心をもったり、もっとと知りたい、興味があるというのは
何よりの愛情だけどね ^^
ただ、あまりにも“理解してあげたい” とか "理解されたい”というのは
一見聞こえはいいけど、
どこか上から目線だったり 自分を特別扱いしすぎていたりで
どこか本末転倒な感じ。
もちろん世間や親が、必死になって
理解してくださろうとするのは大変感謝すべきこと。
でも、僕は親にも周囲にも
理解してほしいとは これっぽっちも思っていない。
僕、こんな奴です。良かったら仲良くしましょー^^
この程度なものです。
でも
理解は必要でなくても
“リスペクト(尊重)” は必須だと思う。
そう。
どんな人も どんな種類の人も どんなタイプの人も
人権があり 生きる権利があり 楽しく過ごす自由がある。
唯一とがめられたとしても 仕方ないのかな・・というのは
誰かを言葉や体の暴力で何の正当な理由もなく傷つけている場合のみだと
僕は比較的思っている。
広大な ★星☆ 地球で
60億もの人間が生きている。
そして 地球は誰のものでもなく
みんなの共有スペース。
誰かだけが必要以上に偉いわけでも
誰かだけが特別にスペースを乱用できる権利があるわけでもない。
当然争いもおこり 意見の食い違いもおこるけれど
いろーーんな人がいて、いろーーんな生き方、いろーんな在り方がある。
それでいいと僕は思う。
というか、それ以外じゃ意味がないし
それ以外じゃスペースを共有できない。
なのに “自分とは違う何か” “大多数とは違う価値観” を
がんばって理解しようとするから
結果、無理が生じ、余計に差別を生む。
どういうことか。
“がんばって理解してあげよう” という行為自身が、
がんばって理解でもしない限り、
断じて受け入れがたいもの、認めがたいもの、
差別されても仕方がない・・・といわんばかりの行動だからではないか・・・
と僕はやんわり思う。
必要なのは
がんばって理解しようとするのではなく
リスペクトする
それだけじゃないのかな・・・・
あんな生き方がある
こんな人がいる
こんな意見もある
地球ってまだまだ知らないことだらけ
面白いね^^ 世界は広いね^^ !!!
これだけですよね!?
これってほんとうは、最高に楽しいことのはずなのに。
誰と暮らすか
どこで働くか
何を趣味とするか
それぞれ好きにチョイスすればいい。
誰かの何かの選択を妨害する権利など
誰も持っていないはずなのだ。
僕らのようなマイノリティーと言われる人間を
理解しようとしてくれる試みは
本当にありがたい。
ただ、そんなに頑張らないでいいのに!
そう思う。
ただ、僕らは僕らのような人とも
そうでない人たちとも
また全然違う世界のひととも
みんなで楽しく生きて生きたいだけ!
それだけなんだけどな^^
悩んで 理解に苦しみあって 辛い時間をすごすなら
限られた人生、いかにしてたのしむか。
これしかないと思う。
でも、同時に
僕らをのことを理解できないと難色を示す人がいても
それはそれで
その人たちのことも
尊重しようと思ってます。
お互いに尊重し合うって
いいっすね^^
●●は ●●より 劣る
●●は ●●より 勝る
これが全ての悪の根源だと気がつくことは
そんなに難しいことだろうか(笑)悪は言いすぎか・・・
ひさしぶりに
SMAPの
世界に一つだけの花♪ が聞きたくなったどーーー
僕は心のどこかでは
僕のおかんは 僕を最後まで
どんな結論に達しても
その結論を リスペクトしてくれると
信じている・・・
でも
プロセス考えると
ちょっと面倒くせー ときもある(本音)














けーじろーさん、お久しぶりです。
ついに治療開始されたんですね。
僕も、第一段階の治療を済ませ、自分の意思次第で
次のステップを踏める状況まできました。
けーじろーさんが気にされている再カミングアウト・・・
僕も第一段階が済み、ホル注やオペへの意思があることを
両親に伝えるとき、
僕自身のことを伝えるとき以上に緊張しました。
涙・・そして涙・・・
両親も・・涙・・・・
自分の思いを、精一杯 嗚咽交じりで伝えました。
両親も、『僕がGIDであること』を
改めて実感したことでしょう。
真剣に、僕の思いを 受け止めてくれました。
そして、
『お前が 辛くないなら、
そうすることが 幸せなら、
父さんも母さんも 応援するぞ!
大事な大事な 家族なんやからな!
何も 心配せんでええ! 何かあっても守ったるから!』
と、力強く 答えてくれました。
僕も、最初のカミングアウトは 手紙がやっとで、
その後、特に 核心にふれることなく日々が過ぎていたので、
その日 やっと、
ちゃんとカミングアウトが出来たような気がして、
心の底から 穏やかな気持ちになれました。
けーじろ?さんのお母さんも、どんな結論に至ろうとも
きっと どっしりと 受け止めてくれるはず!
リスペクト してくれるはず!
初めまして。
前のブログも凄く興味深く拝見しました。
内容の面白いのに加え、
読んでいると気力が沸いて来る気がします。
僕も一年位前に自分がGIDだと思って居ると母親に打明け
一時カウンセリングに行き掛けたものの、
進学の為上京した後は慣れん東京暮らしに手一杯で、
カウンセリングを受付けてくれる場所も多く
選択肢の多さに択びかね居て
それきりでした。
もぅそろそろ先に進みたいと
大学の精神保健相談室から訪ねよかと思てる所です。
僕も両親にカミングアウトをしてから3年くらい経ったと思います。それ以後そのことが話題に上ることはなく、両親と自分の関係は全く変わらないまま生活しています。ただそれは自分の現状を把握してもらったというものではなく、両親は僕が外で男として働いていることなど関係なく、今でもばっちり女扱いです。その状況がとても苦しく、僕もそのうちもう一回きちんと話をしなければいけないな、と思っています。もしかしたらそのうち女として生きるようになるなんて思っているかもしれない両親に、もう一回あの重苦しい時間となるカミングアウトをするというのは自分にとっても相当なエネルギーを使うことですが、でもやはり家族には話しておきたいとも思っています。
理解と尊重、難しいですね。僕にはまだ「理解してほしい」と思ってしまう心があります。それは僕が他の人に対しても「理解したい」と思っていることの裏返しなのかもしれません。けーじろーさんの言うように、理解というものが上から目線だったり自分を特別扱いしすぎるようなことになっているのだとすれば、やはり直していったほうがいい部分かもしれないなということに初めて気づきました。
>すなふきんさん
師匠!と呼びたくなるようなコメント、ありがとうございます。
僕もきっと、治療すると言ったら、
おかんは、『僕がGIDであること』を
改めて実感すると思います。
でも、きっと応援してくれるって 信じてます。
今後のすなふきんさんを応援しています!
>則さん
はじめまして!
僕もウジウジグジグジ悩み
全然男らしくもなく潔くもなく
だらだらと迷いながら今に至りました^^;
FTMと名乗るな!と怒られても仕方ないけど
これも含めて僕なので、後悔はしてません。
必要な過程だったんだなって。
お互い迷うことも いろいろあるけれど
自分の意志で人生歩いてれば それでいいんだと思います!
これからもよろしく!!
>やべっちさん
理解って本当に難しい言葉ですよね。
僕も 理解にこだわりはしないけれど
理解されることも することも
決して諦めてはいません。
ただ、理解することが目的やゴールになって
そのせいでお互いに余計につかれたくないなっていう思いはあります。
尊重しあい 実際にふれあい続けることの延長戦上に
はじめて 真の理解に近いものが
訪れるのでは? と思ってる今日このごろでしたー^^